函館・大手町にある「ニチロビル」は、「旧日魯漁業」の社屋ビルとして
1929年(昭和4年)に1号館が建築されました。(現在の「函館国際ホテル」)
完成当時は「東京以北最大のコンクリート建築」と言われていた巨大コンクリートビル。
「嫁に出すなら日魯の社員」。そんな言葉が残されている程、
当時の日魯漁業の発展は、函館の経済発展を語る上で欠かせない存在。最盛期には1500人以上もの社員がいたとか。
後、1932年(昭和7年)に当店のある2号館、1937年(昭和12年)に3号館を建設。
3号館には後の「HBCホール」となる大講堂があり、当時のコンサートや発表会など
多くの催し者が開催され、文化の発信地でもあったニチロビルは、今も函館市民の心の中にたくさんの想い出と共に残っているのです。
「この螺旋階段を登って、ワクワクしながらホールに行ったことが忘れられない」「このホールで発表会で主役をやったのよ。」
当時のまま残っている今も現役の螺旋階段を上りながら、たくさんの方から想い出話を聞くことができました。
現在は、残念ながら劇場も閉鎖となり入ることは出来ませんが、螺旋階段や、窓や天井のモダンさなど、面影を残す部分はところどころに。当時のコンクリート技術と建築した建築士、職人のプライドを感じることができます。
かつてのニチロビルディング
実は、函館とコンクリートの歴史は、切っても切り離せないモノ。
なぜ、函館に多くの「コンクリート建築物」が残されているか。
その謎は・・こちらへ。 >>>GRHABIP-函館湾岸価値創造プロジェクト-